旅物語 第23回「日本神話・出雲・黄泉比良坂(よもつひらさか)」(2013年9月)

2018年8月1日

 

(写真・文、 光岡主席研究員)

 

 「黄泉比良坂」は、日本神話の中で、夫・伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、火の神を産んだため亡くなった愛する妻・伊邪那美命(イザナミノミコト)を連れ戻しに、黄泉国(死者の国)へ行った際、帰る準備の間、見てはいけないと約束した妻・イザナミノミコトの死体を見てしまい、怒ったイザナミノミコトの配下の鬼女に追いかけられた時、黄泉の国から逃げてきた坂です。ここで桃の実を投げて追いかけてきた鬼女を退散させ、巨岩をおいて境とした場所です。「死者」と「生者」の境界場所です。

 この伝説の神話の場所が、今も島根県の東出雲に実在するのです。 

 

 「黄泉比良坂」は「伊賦夜坂(いふやさか)」とも言います。

 巨岩は「千引岩(ちびきのいわ)」と言い、千人の力で動かす岩の意です。

 「桃の実」は、古代、魔除けの力を持つと信じられてきました。 

黄泉比良坂・「千引岩」全景-左奥に巨岩があります

千引岩(ちびきのいわ)


 冥界との境、黄泉比良坂(よもつひらさか)を、数年前、訪れました。

 

 自分に怖い怖いという思いがあるためかドキドキしながらの訪問でした。夏の終わりの昼下がり、もちろん人一人居ず、途中にある沼では突然の蛙?の飛び込む音にドキッとさせられました。来た道の終点の駐車場から少し歩いた所に、イザナギのミコトが黄泉の国から逃げ帰った時、塞いだという「千引石(ちびきいわ)」と由緒を記した「神蹟の石碑」が、奇妙なほどの静寂の中、本当にありました。

 奥の「千引岩」に行くため、不気味な“結界”を示す注連縄のある石柱を恐る恐る黙礼し通りました。空気と時間が止まったような、重苦しく張り詰めた空間でした。 

“結界”を示す注連縄をした石門

 

 

 

「神蹟・黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地」石碑


「千引岩」入り口横にある沼で、蛙の飛び込む音?にドキッとした所です。

 非現実的な「黄泉国入口」等地名表示板が現実に普通にあり、逆に怖さを感じます。


 「千引岩」を見た後、横から続く「黄泉比良坂」を歩きました。

 登り降りは数分ですが蝉のジーッと鳴く声を聴きながら周りをキョロキョロしながら黙々と早足で上下しました。

 人によっては後ろに足音を聞いたり蛇にあったりと不思議な体験をした人もいるようです。

 何とも言えない異空間体験でした。

 車に戻り、松江市内に戻ってようやく安堵しました。

 坂の途中に、“塞の神”が祀られており、今でも地元の人は、この道を通るときは、“塞の神”に小石を積んで通る風習があるそうです。 


 「揖屋神社(いやじんじゃ)」

 意宇(おう)6社の一つで、出雲一宮「熊野神社」と共に出雲では最も古い古社です。近くに「黄泉比良坂」があるなど、「黄泉国」に縁の深い古社と言われています。

 祭神は、「黄泉国」に去られた伊邪那美命(イザナミのミコト)、隣接する「比婆山」にはイザナミノミコトのご神陵も伝わっています。

 創建は不明ですが、日本書紀では「言屋社(いふやのやしろ)」、出雲風土記では「伊布夜社(いふやのやしろ)」、延喜式では「揖屋神社(いやじんじゃ)の名前で伝わっており、「出雲大社」創建より遙か前の創建と考えられ、また、出雲国造家と関係の深いお社と言われています。

“結界”を示す「注連縄柱」、奥に「神門」

独特の形の“神門”


  “結界”を示す「注連縄柱」と独特の形をした「神門」抜けると、そこは異空間です。晩夏の午後、境内には誰もいません。重しつぶされそうな圧迫感と何故か怖いという胸騒ぎを感じさせる神社です。

 厳粛な本殿は「大社造り」ですが、内部は出雲大社と反対向きだそうで、謎の多いお社です。

 

 何故か、社務所のおばさん達だけが、奇妙に優しく多弁だったことが、余計に不自然さと違和感を感じました。

 何故か“不気味で怖い”お社です。

揖屋神社 境内

揖屋神社 拝殿


 

 民間信仰の「荒神様」です。異様な形態にぎょっとし、気味悪く感じました。   

 文化庁の資料によると、出雲地方では「コウジンマツリ」と言い、その年の農作物の収穫を荒神様に感謝する祭り・祈りだそうです。

 巨大な藁蛇と大量の幣束を制作し、荒神を祀った木に藁蛇を巻き付け、周囲に幣束を刺して祈るそうです。藁蛇がおどろおどろしいです。

 

 揖屋神社のどの社殿も摂社・末社も綺麗に整備されているのに、何故か境内の端にある「稲荷社」だけは、色の剥げた赤い鳥居が並んでいます。怖くて上れません。

不気味な雰囲気の「荒神社」

不気味な「稲荷社」