2015年6月1日
(写真・文、 光岡主席研究員)
9月の終りから10月の初めにかけて、中世の面影と童話の世界の街並みを求めて、ブダペストとプラハに旅行しました。
写真は、ドナウ川のナイトクルーズから見た夜景です。歌と演奏をBGMに美味しい食事を楽しみながらの2時間半、両岸に浮かび上がる夜景は幻想的です。 王宮、国会議事堂、鎖橋です。
ドナウを挟んで、王宮側が「ブダ」、商業地区が「ペスト」、それを1849年に結んだのが「鎖橋」、そして「ドナウの真珠」と呼ばれる「ブダペスト」になりました。
国会議事堂
鎖橋
角度に寄っては金色に
遠景は王宮の丘
左/王宮、右/マーチャーシュ教会
ドナウ川クルーズ、船内
ハンガリーはアジア系のマジャール人の国、氏名や住所の書き順は日本と同じ、背格好も殆ど同じです。
写真はブダペストの名所旧跡です。 今回の旅で一番感銘した聖イシュトヴァーン大聖堂、そして王宮の丘からのドナウの流れ、鎖橋、オペラ座はこけら落としから丁度130年の記念日に行き合わせイベントで盛り上がっていました。
聖イシュトバーン大聖堂
大聖堂内部
聖イシュトバーン大聖堂 内部
ミューシャのステンドグラス
ドナウ川と鎖橋
ドナウ川と国会議事堂遠景
王宮の衛兵は玩具の兵隊さんのようでした。
王宮の丘 マーチャーシュ教会
オペラ座を探していたら犬の散歩中の初老の女性が「どこかお探し?」「オペラ座を探しています」「それならこのまま歩いて後2分よ、今日は130年目の記念日だから貴方たちラッキー、是非見てね!
実は私の息子はかつて2年日本に行ってたことがあるのよ!」
・・・皆さん、親切でした。
お気に入りの国になりました。
オペラ座
130年目の記念イベント、
当時の衣装で。
国会議事堂前の広場は1956年民主化を求めたもののソ連の戦車に鎮圧されたハンガリー動乱の舞台でした、
今も銃痕が保存されています、
中欧小国の苦難の歴史を感じさせてくれます。
銃弾痕
国会議事堂
国会議事堂前広場と衛兵
自由広場周辺は重厚な古き欧州の建物群、反対に英雄広場は明るく開放的です。
自由広場
英雄広場
英雄広場で会った子供たち
ブダペストからプラハへは、国際列車EC(ユーロシティ)170号ベルリン行き「2等車指定席」先頭車両に乗りました、7時間の旅です。食堂車もついています、1等車は最後尾の1両だけです。
ハンガリー、スロヴァキア、チェコと、初めて陸路で国境を越えて走るので、楽しみにしていましたが、今やユーロ内なので入国手続きは何もなく、国境を越える毎に新しい国の車掌さんが現れ切符の検札をするだけでした。
途中の風景は、人口の少ない農業地帯を走り抜けるだけに、ただただ広い畑と原野だけ・・・緯度の似ている北海道と全く同じ景色、正直途中から飽きました。
写真は、風格あるブダペスト駅、映画で見るとおりの列車内、途中の駅を「世界の車窓から」風に撮ってみました、プラハ駅は近代的でした。プラハから後5時間乗ると終着駅ベルリンです。
国際列車の乗り入れる、「ブダペスト東駅」
ブダペスト東駅構内
下から2番目が、プラハ経由ベルリン行き
手前は赤い列車は、「エリザベート王妃号」
ブダペスト東駅構内、壁の絵画が素敵です
映画で見るような「車内通路」、コンパートメントの中の二等自由席は混雑していました
EC170号 プラハ行き
僕の乗った、国際列車二等指定席
「世界の車窓から」風、写真
ブダペストで乗車した時、隣のコンパートメントに乗ってきた30代のアジア人カップルが先に座っていたチェコ人の初老のおじさんに荷物の置き場所を巡って怒られていました、
目があったので「うるさくて大変だね!」と言ったら、「うん!」と笑っていました、
「どちらから?」と聞いたら「中国です」、「僕らは日本」
・・・とっても爽やかな感じの良い2人でした。 同じプラハ駅で降り、手を振って別れました。遠い欧州の異国では、やはりアジア人同士、身内と感じてしまいます。
自転車ツーリングの片道を鉄道で移動しているドイツ人のおじさん集団、アメリカ人一人旅の若者は乗り合わせたスロバキヤ人女子大生とはしゃいでいました。 小さい女の子をつれたチェコ人の若い母親はひたすらスマホを触っていました。
国際列車、なかなか風情があって面白いですよ!
途中経由した、中欧の「駅」たち、
時間がゆっくり流れています
プラハ駅
EC170号 ベルリン行き
モダーンな雰囲気のプラハ駅構内
後編は次号