2017年1月1日
(写真・文、 光岡主席研究員)
大宮駅」から街路樹の美しい「氷川参道」を2km、20分ほど歩くと古式豊かな「氷川神社」にたどり着きます。関東一円に約300社ある氷川神社の総社です。
古来の歴史をたどると、元々は「武蔵国三宮」から出発しましたが、中世以降は皇室・源頼朝・徳川家康など将軍家の帰依厚く、今では堂々たる風格を持った伽藍など、名実共に「武蔵国一宮」となりました。
創建はあまりにも古く詳細は不明ですが、最も古い伝承は第五代考昭天皇(BC470年頃)の御代と伝え、別伝では第13代成務天皇(AD350年頃)の御代、夭邪志国造(むさしのくにのみやっこ)に任命された出雲族の「兄多毛比命(えたもひのみこと)」が一族を率いてこの地に移住し、一族の祖神を祀る杵築大社(出雲大社の古称)から分霊を迎えて氏神として祀ったのが「氷川神社」の起源と伝えます。
氷川神社参道
氷川神社の祭神は、出雲大社の「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」「稲田姫命(いなだひめのみこと)」「大己貴命(おおなむちのみこと)・・・「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の別名」、つまり両親と息子の3神です。
社名も出雲神話の舞台の地を流れる島根県の「斐川(ひかわ)」に由来し「氷川(ひかわ)」となったと言われます。
楼門
二の鳥居
拝殿
舞殿
かつて、現在の“さいたま市”から“川口市”にかけて、江戸時代中期に埋め立てられた「見沼(御沼)」と呼ばれた巨大な沼がありました。その沼の精霊を古代の民衆が「水神・竜神・農業神」として祀って来たのが「氷川神社」の原型と思われます。
その名残が、境内にある“神池”や“蛇の池”の湧水であり、また摂社「門客人社」は、現在では、“稲田姫の両親“を祀る神社ですが、江戸時代までは「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれ、”見沼の水神”を祀っていました。 この摂社こそ、隠れた「氷川神社のルーツ」です。
氷川神社の近くには、「氷川女体神社」「中山神社(中氷川神社)」という神社があり、古来、この3社を一体として「一の宮/氷川神社」として民衆は信仰してきました。
この3社は、共通の「竜神・水神伝説」を有しており、また驚くべきことに、3社は一直線上に並んでおり、太陽は、夏至には「氷川神社」に沈み、冬至には「氷川女体神社」から昇るという
・・・古代、稲作で重要な暦をサインする位置に鎮座していたのです。 古代ミステリーです。
摂社「門客人神社」
巫女さんの絵”の可愛い「手水の作法」を見つけました。
氷川神社」で最も有名な神事「大湯祭」は12月10日に行われます。
これに合わせ「酉の市」が立つことから、「十日市(とおかまち)」「熊手市」と呼ばれ、境内や参道に“熊手”や“神棚(宮型)”、また様々な露店が約2000軒が立ち並び、大いに賑い、手締めの声と拍手の音が響き渡るそうです。全国での有数の「酉の市」です。
今回、氷川神社を前日の12月9日に訪れたため、境内は準備の真っ最中でした。“熊手”の飾りが綺麗でした。
「酉の市」準備中1
「蛇の池
巫女さんの絵の「手水の作法」
「酉の市」準備中2