2016年10月1日
(写真・文、 光岡主席研究員)
山城国一宮は、桓武天皇の平安京遷都において、朝廷より“王都守護”“国家鎮護”の役割を任された「上賀茂神社」「下鴨神社」の2社です。
「上賀茂神社」の正式名称は「賀茂別雷神神社(かもわけいかづち)」、祭神は「賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)」、「下鴨神社」は「賀茂御粗神社(かもみおや)」、祭神は「「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」と「玉依比売命(たまよりひめのみこと)」です。
上賀茂神社の祭神の母と祖父が下鴨神社の祭神です。
21年毎の「式年遷宮」が2015年行われました。(上賀茂神社は第42回目、下鴨神社が第34回目でした。)
1994年にユネスコ世界文化遺産に登録された「京都文化遺産16社」の一つです。
前編では「上賀茂神社」をご紹介します。
賀茂川の上流、北山の麓に「上賀茂神社」はあり、都心より1~2度温度は低く、空気も水も美味しい清々しい地です。
”一の鳥居”を過ぎると広大な開放感ある芝生の馬場が広がります。 日本で一番古い“競べ馬”が行われます。
上賀茂神社 二の鳥居
”二の鳥居”を越えると、「細殿(拝殿)」、その前には”神の寄り代”となる白砂の円錐形の「立砂」が置かれ・・ぴりっとした神々しさと共に、白い砂、緑の木々、青い空、丹塗色の建物の色合いが・・明るくモダーンな雰囲気を醸し出します。
清らかな御手洗川を渡り、丹塗色が目にも鮮やかな「楼門」を越えると、国宝の「本殿・権殿」です。
由緒は、2000年以上前、古代からこの地に住んだ鴨氏の氏神を祀ったのを発祥とし、飛鳥時代の678年に現在の社殿の基が造営されました。
社伝では“賀茂別雷大神”は神武天皇の時代に神社の北にある「神山(こうやま)」に降臨されたと言われ、今も、御神体はこの「神山」です。
「山城国風土記」逸文では、玉依媛命が賀茂川で流れて来た丹塗矢(天つ神、雷神を意味)を拾ったところ懐妊し、生まれたのが賀茂別雷大神と伝えます。
「細殿」(重要文化財)は、結婚式場として利用されており、近年、外国人の利用が急増しています。
緑の木漏れ日が綺麗な境内を流れる“ならの小川”
上賀茂神社 馬場
楼門と玉橋
細殿(拝殿)と前の「立砂」
春は馬場にある“しだれ桜”(御所桜)が綺麗です
朝廷の厚い帰依から、嵯峨天皇の御代810年以降400年に渡り、伊勢神宮の「斎宮」と並び、賀茂神社にも「斎院」が置かれました。
源氏物語、徒然草などに引用される5月15日に行われる王朝絵巻の「葵祭」は、朝廷が国家行事として「五穀豊穣」を賀茂社に祈念する勅使の祭礼です。
北山山麓の開放的で明るい「上賀茂神社」、古代のままの原生林「糺の森」の中におごそかに佇む「下鴨神社」、是非、訪れてください。
片岡社
(祭神の母、玉依比売命を祀る)
舞殿(小川の上に建っているので「橋殿」という)
“一の鳥居”から東に歩くと境内の“御物忌川”と“御手洗川”が合流した“ならの小川(明神川)”沿いに、神官が住んだ社家の家々が立ち並びます、道から家へは川にかかった石橋を渡る独特の様式、典雅な景色です。
更に道を東に歩くと、“杜若”の群生で有名な境外摂社の「大田神社」にたどり着きます。緑の木々に囲まれて綺麗です。祭神は,天鈿女命(あまのうずめのみこと)・・・あの天岩戸の前で踊った女神です。
5月下旬に咲く2万5千本の紫色の“杜若”は見事です。
境外摂社・大田神社
神社に隣接する明神川沿いに神官の住んだ“社家町”
大田神社入口にある杜若群落の池(5月末開花)