2016年6月2日
(写真・文、 光岡主席研究員)
和泉国一宮は、日本神話の悲劇の英雄「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」を祀るお宮です。
伊吹山の神との戦いに敗れ、三重の地で亡くなり、白鳥となって故郷へ向かい降り立った地が、ここで、「白鳥伝説」のお宮です。
白鳥が由来となる「JR鳳(おおとり)駅」から市街地を10分ほど歩くと突然広大な「千種(ちぐさ)の森」が現れ、その中に一宮はあります。
また、日本武尊の亡くなった三重の地と大鳥大社は、同じ緯度(北緯34度32分)線上にあり、春分・秋分には、この線上を太陽は移動します。 どんな意味が隠されているのでしょうか? 不思議です。
大鳥神社 一の鳥居
「白鳥」のシンボル
日本武尊の立像
二の鳥居と拝殿遠景
東国平定の帰路、妻、宮簀媛(ミヤズヒメ)・・尾張国造の娘・・・に「草薙の剣」を預けたまま、伊吹山の神との戦いに趣き、返り討ちにあい、病を得、現在の四日市まで落ち延びた所で、
「吾が足は、三重(みえ)に勾(まが)れるが如くして、甚(はなは)だ疲れたり」と言って亡くなり、その魂は白鳥となり、故郷ヤマトを目指して飛び立ちました。
* 「三重県」の語源となりました。
* 「三種の神器」の一つ「草薙の剣」は、今も尾張「熱田神宮」にあります。
滋賀・岐阜県境にそびえる雪の伊吹山
「大鳥大社」の祭神には、「日本武尊」の他、「大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)」・・・(天児屋根命の別名)」が祀られています。
かつて、和泉国大鳥郷に居住した中臣系氏族が、彼らが祖神とする「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」を祀ったのが、この宮の起源とされてきましたが、その後「白鳥伝説」とあいまって、現在と形となりました。
ロマンティックな「白鳥伝説」を持つお宮ですが、市街地にあるせいか、今ひとつ厳粛な雰囲気や風格に欠け、今まで巡った多くの“一の宮”とは異なる残念な印象でした。
拝殿
本殿は「大鳥造」といい、「切妻造・妻入社殿」という「出雲大社造」に次ぐ古形式を保っています。
古式ゆかしい本殿遠景