2019年7月1日
(写真・文、 光岡主席研究員)
京都観光で人気の神社ではありませんが、「今宮神社」は大徳寺の北側・紫野にあり、平安の昔から連綿と伝わる京都人の普段着の暮らしと伝統・信仰を今に伝える古社です。京都の春の訪れを告げる優美な「やすらい祭」や、参道で千年、神饌由来の美味な「あぶり餅」を伝えるなど、京都人の大好きな神社です。“京都通”になるには参拝必須の神社です。
当地には平安遷都以前から、疫神を祀る社があったと言われます。平安京が都市として栄える一方で、人々は疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため、神泉苑、御霊社、祇園社などで盛んに御霊会が営われました。今宮社の紫野御霊会もその一つで、一条天皇の御代994年、疫病が流行した際、当地に祀る疫神を二基の神輿に斎い込めて船岡山に安置し、歌舞を奉納し、病魔の依れる“人形(ひとがた)”を川に流し、悪疫退散を祈りました。
やすらい人形(ひとがた)
「やすらい祭」は、摂社「疫社」の祭礼で、花の精にあおられて春の陽気の中に飛散する悪疫を鎮めるための「花鎮めの祭」です。京都の春の始まりの4月の2週に行われています。
「やすらい祭」では、風流な装いを凝らして詣で鎮静安穏を祈願する習わしでしたが、あまりにも民衆が華美に走ったため平安末期、勅令で禁止されました。
江戸時代に桂昌院により復活、今に至っています。
今宮祭
「今宮祭」は「やすらい祭」と同様、平安時代の紫野御霊会を起源とし、現在も今宮神社の祭礼として5月に3週間をかけて行われています。
江戸時代に、桂昌院の力添えと西陣町衆の台頭があり大きく復興、「西陣の祭」として、現在に至っています。 最大の「大宮神輿」は豊太閤の寄進と言われ、菊のご紋と共に豊臣家の紋もあり、重さも2トン750貫もある巨大さで、美術工芸を尽くした京都一の豪奢な神輿と言われています。
今宮の奇石
境内にある「阿呆賢(あほかし)さん」は古くから「神占石(かみうらないいし)」と言われ、病弱な者はこの石に心を込めて、病気平穏を祈り、軽く手で撫で身体の悪い所を摩れば、健康回復を早めると言います。
又「重軽石(おもかるいし)とも言われ、まず軽く手の平で三度石を打ち持ち上げると、たいそう重くなり、次に願い事を込めて三度手の平で撫でて持ち上げます。この時、軽くなれば、願い事が成就すると伝えられています。
祭神、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は、織物の巧さ美しさを賞でられる神として技芸上達を願う人々の崇敬が篤く、七夕伝説の織姫に機織を教えた神とも言われ、織物の祖神とされています、
社の両側に立つ、織機の杼(ひ)と呼ばれる織機の道具が目を引きます。織物の町・西陣の人々から篤い崇敬を受けています。
平安京造営の際、都の四方に平安京鎮護を願い建てられた「大将軍社」の一つで、ここは北側守護をしています。
西側守護の一条通の「大将軍社」が独立神社として大きく有名。現在、何故か5ヶ所の大将軍社が残っています。 北側には、もう一つの「大将軍社」が上賀茂にあります。