2017年8月1日
(写真・文、 光岡主席研究員)
ご祭神は、保元の乱に敗れ讃岐に流され都へ戻ることも叶わず、「日本一の大魔王にならん!」と悲憤のうちに讃岐で崩御された崇徳天皇です。
天皇の寵妃だった「阿波内侍」は出家し、天皇より賜った天皇自筆の御尊影を当宮のルーツである“藤寺”に祀り弔いました。その後、大円法師が“藤寺”に参籠した際、崇徳上皇がお姿を現わされたため、このことを聞かれた白河法皇が霊を慰めるため建立された“光明院勧勝寺”が、”安井金比羅宮”の起こりとなりました。
崇徳天皇は、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断って参籠されたことから、当宮は古来より、“断ち切りの祈願所”として信仰されてきました。 “縁切りの宮”です。
祇園・東山通りに面した「安井金比羅宮」の鳥居
京都にある唯一の“金比羅さん”「安井金比羅宮・本堂
高さ1.5m、幅3mほどの大きさのある石(碑)です。
縁切り・縁結びを願う多くの女性でいっぱいでした。
参道にある「絵馬の道」と書かれた石標、石の左に縁切りのヒビが入っています。
「縁切り・縁結び碑(いし)」
碑(いし)には、「○○と縁を切りたい」など願い事が書かれた「形代(かたしろ)」(身代わりのお札)が、一面にビッシリ貼られています。
① 本殿を参拝する。
② 切りたい縁・結びたい縁など願い事を書いた
「形代」を持って、願い事を念じながら碑の表か
ら裏へ穴をくぐり、悪縁を切ります。
③ 次に裏から表へくぐって良縁を結びます。
④ 最後に、「形代」を碑に貼り、縁切り・縁結びがは
完了します。
身代わりの「形代」(お札)です。
本来「縁切り祈願所」であったため・・・呪詛・怨念に満ちた絵馬が多く、怖いです。
京都で最も古い狛犬の一つと言われています。明和4年(1767年)の作と伝わります。
長い時間、この狛犬は人々の呪詛・怨念を見守ってきました。