2016年8月29日
(写真・文、 光岡主席研究員)
①「岩上神社(岩上祠)」
西陣の表通りから一歩入った住宅街の街角に、突然、謂われのありそうな“巨石”が現れます。
伝えによると、二条堀川にあった“霊石”を、御所内の中和門院(後水尾天皇の母)の邸の池の畦に移した所、怪異が起きたそうです、吠え出したり、すすり泣いたり、子供に化けたという。
持て余した女官たちが真言宗の僧に相談、僧はその石を貰い受け、現在の地に「有乳山岩上寺」と称して祀った結果、怪異はおさまったという。 以降、“授乳”“子育て”の信仰を集め「岩上さん」と親しみをこめて呼ばれています。
享保と天明の火事でお堂は消失、明治初めには廃寺となり荒廃を極めましたが、大正時代に繊維業の「千切屋」が“邸内に祠を構え、“巨石”だけが今に伝わりました。
伝説が今も同居する街・・・京都です。
② 本隆寺 「夜泣止の松」
本隆寺は、西陣にある法華宗真門流の総本山で格式を感じさせるお寺です。
享保と天明の大火の際、周囲の西陣一帯が焼け野原となるなか、本隆寺の本堂と祖師堂は、お祀りする“鬼子母神”の霊験で消失を免れたと言われ、以来、“不焼寺(ふしょうじ)”と呼ばれています。
「夜泣止の松」の伝承:
天文元年(1532)、第5世/日諦上人は赤ん坊の養育を頼まれたが、毎夜母を慕って泣く赤ん坊に困っていた所、この松を廻ると何故か夜泣きが止まった。この赤ん坊は、長じて名僧日修となりました。
以来、人々はこの松を「夜泣止の松」と呼び、子供の夜泣きに悩む母親は、この松の葉を待ち帰り、枕の下に敷いて子供の夜泣きを治したと伝えられています。
本隆寺 本堂
「夜泣止の松」と石碑
④ 雨宝院(西陣聖天)
雨宝院は、空海の造った歓喜天像(聖天)が本尊で、西陣の人からは「聖天(しょうてん)さん」と親しまれている。
提灯と境内の緑の風情の素敵なお寺です。
③ 西陣の5名水
①「染殿井」
雨宝院にあり、今も涸れることなく涌いている。この水を染色に使うとよく染まるとされ、以前は西陣の染物関係者が水を汲みに来ていましたが、現在は清めの手水に使われています。
②「千代井」
本隆寺の本堂前に残る、今は涸れています。
③「桜井」
首途八幡宮社務所辺りにあったと伝わります。
④「安居井」、⑤「鹿子井」は、西陣の一般民家内にあると伝わりますが、一般公開されていません。
⑤ 首途(かどで)八幡宮・・・義経ゆかりの神社
かつて、この辺りに「金売吉次」の屋敷があったと伝わる。
源義経は奥州平泉に赴く際、この八幡宮に途中の安全を祈願して出立したと言われる。「首途」は「出発」の意味で、かつて「内野八幡宮」と言った当宮は、「首途八幡宮」となった。
雨宝院/染殿井
本法寺「千代井」
首途(かどで)八幡宮