2016年5月2日
(写真・文、 光岡主席研究員)
「天使の宮」は、五條天神宮の別名で、京都の真ん中、“五条通”に近いビルの谷間にあります。
神社なのに、「天使(てんし-エンジェル?)の宮?」・・・何とも不思議な名前のお宮です!
更に、近くには「天使突抜」と、突飛な名前の通りが・・・謎は深まるばかりです!
社伝によれば、このお宮は、平安遷都の際、大和国宇陀郡から「天神(あまつかみ)」を勧請したのが始まりで「天使の宮(てんしのみや)」と呼ばれていました。後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮(ごじょうてんしんぐう)」と改められました。
この不思議な名前は、どうも「天神(てんしん)」が訛って「てんし」⇒「天使」となったようです。
「天神」と書くものの、菅原道真を祀る「天神(てんじん)」(天満宮)とは無関係です。
祭神は、大己貴命(大国主命の別名)、少彦名命(大国主命と一緒に日本を作った神)、天照大神の珍しい組み合わせの3神です。 天照大神は(天神(あまつかみ)」ですが、大己貴命と少彦名命の2神は「国神(くにつかみ)」です。 不思議で謎だらけのお宮です。
五條天神宮(ごじょうてんしんのみや)
(“天使の宮”)
五條天神
(ごじょうてんしん)
天神宮
(てんしんのみや)
“天使突抜(てんしつきぬけ)”
・・・この不思議な通りの名前の由来は、
かつて五條天神宮は“天使の杜(てんしのもり)”呼ばれた広大な神領を持っていました。天下統一を果たした秀吉が戦乱で荒れた都の再建の中で、“天使の杜”の中を突き抜ける道を作りました・・・以来、“天使突抜”と呼ばれるようになりました。
“天使突抜”は、京都のど真ん中「五条通」を挟んで南北に突き抜ける道、一本西側は、やはり京都の目抜き通り「堀川通」が走っています。
そんな都心にも関わらず、京町家がひっそりと並ぶ静かな風情の素敵な通りです。
天使突抜二丁目界隈(五条通北側)
天使突抜三丁目界隈(五条通南側)
牛若丸と弁慶の伝説(五條天神宮)
“五條天神宮”は鴨川に架かる「松原橋」の西詰近くにあります。
そして、この松原通は、古の「五条大路」、即ち現在の「松原橋」は古の「五条大橋」だったのです。
童謡「五条橋」は、この橋の上での義経と弁慶の闘いを伝えていますが、「義経記」や謡曲「橋弁慶」では、「五條天神宮」に千本の太刀を奪う祈願を立てた弁慶が、五条の杜(天使の杜)で義経に出会い闘ったと伝えています。
更に別の伝承では、五條天神宮の東側を流れていた“西洞院川の橋の上”が、二人の闘いの場であったと伝えています。
“天使の宮”(五條天神宮)本殿
牛若丸と弁慶像(京都四広報写真)
“義経・弁慶出会いの場所”立札