2023年5月8日
(写真・文、 光岡主席研究員)
3年ぶりに「一宮シリーズ」を再開します。
コロナ禍も少し落ち着いたこの4月、3年ぶりの大学時代サークルのOB会が兵庫県佐用であり、その帰りに「播磨国一宮/伊和神社」を訪れました。
古代、播磨国の“国府”は肥沃な播磨平野の姫路に置かれたのに、“一宮”は揖保川の上流の鄙びた山間部の因幡街道沿いに鎮座しています。ローカル線/姫新線の播磨新宮駅で降り、揖保川沿いをバスを乗り継ぎ、約1時間、やっと広大な杉の森の中にある伊和神社に着きました。
伊和神社 注連縄
伊和神社 鳥居
現在の祭神は「大己貴神(大国主命)」となっていますが、本来の祭神は古代西播磨に勢力を張った伊和君一族が祀る「伊和大神(いわのおおかみ)」です。備前から来たとも出雲から来たとも言われている一族です。
大和朝廷の国内統一の過程で消えていった地方豪族の伊和君一族と彼らが祀る国津神「伊和大神」の伝承は「播磨国風土記」などに断片的に残っているだけです。
「播磨国風土記」によれば、西暦300年頃、新羅から渡来した王子/天日槍(アメノヒボコ)に、垂仁天皇が淡路国/播磨国の一部への居住を許したためアメノヒボコは播磨に来たが、伊和君と大きな戦いになり、結果、伊和君が勝利し、アメノヒボコは但馬国に移り、その地に落ち着いたと伝えます(但馬国一宮/出石神社の祭神はアメノヒボコ)。
随神門
拝殿内の絵馬
拝殿
江戸時代の絵馬もありました
伊和神社は全国でも珍しく本殿は南面でなく北を向いています。
社伝によれば、成務天皇の御代(西暦350年頃)、当地の豪族伊和恒郷に伊和大神の「我を祀れ」との託宣があり、現社地は一夜のうちに杉や檜の生い茂る聖地となり、多くの鶴が舞っていた、その中心にある石(鶴石)には二羽の大きな白鶴が北向きに眠っていた。これを見た恒郷はここを鎮座地と定めて社殿を北向きに造営したと伝えていますが・・・、
伊和大神は、但馬国に移ったアメノヒボコの再侵略に備えるため、但馬国に近い播磨国北部の山間部に北を向いて鎮座したのかもしれません。
「鶴石」は、修理中の本殿の真裏にあるため、本殿修理用の枠組みが写っています。
「鶴石」
また大神が北の山間部に鎮座したため、南の平野部は赤穂市の「伊和都比売神社」に祀られる伊和大神の妃神「伊和都比売(いつわひめ)」が分担し、夫婦二神で「播磨一国」治めていたようです。
「手水舎」を支える“力士たち”
託宣の“鶴”
びっくりするほど高い杉の木がたくさんあります、神社は杉と檜の境界線で、ここから北は檜だそうです。
神木
神楽殿
市杵島姫神社
市杵島姫神(イチキシマヒメ)は「海上交通の守護神」宗像三女神の三女で、仏教の弁財天と集合し、通称、弁才天(弁財天、弁天)と呼ばれています。
御霊殿
伊和大神の 託宣を受け、伊和神社を創建した当地の豪族/伊和恒興を祀ります
本殿 ・・・残念ながら修理中でした
磐座(いわくら)
神社の森には“磐座”が多数あります。
また、神社を囲み、“磐座”をようする四つの神体山があり、今も21年に1度「一つ山祭」、61年に1度「三つ山祭」が行われ、遙拝しています。
古代からこの地は信仰の場であったことを示しています。
中国山地(丹波山地)特有の丸く低い山並み、透き通るように綺麗な清流、杉や檜が鬱蒼と茂る森、帰路のバスの乗客は途中から僕1人・・“日本昔話”を感じる春の小旅でした..。 (完)
伊和神社拝殿 遠景
(拝殿右は“夫婦杉”)
歴史を感じさせる“狛犬”
神仏習合の名残の両部鳥居