全国一宮 第18回「山城国一宮 上賀茂神社・下鴨」                           後編「下鴨神社」(2014年~2016年)

2016年11月1日

 

(写真・文、 光岡主席研究員)

 

 正式名称を「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」という「下鴨神社」は、鴨川と高野川が合流する三角地帯にあります。
 古代のままの鬱蒼とした“糺の森”の長い参道を進むと“二の鳥居”、そして、丹色が鮮やかな“楼門”を入ると、ここが山城国一宮「下鴨神社」です。
 祭神は、上賀茂神社の祭神/賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の祖父/「賀茂建角命(かもたけつぬみのみこと)」と母/「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」を祀っています。
 創建は、2000年以上も前、神武天皇の時代に祭神が“御蔭山” に降臨されたと社伝は伝え、古代からこの地に住む鴨氏が氏神を祀ってきました。
 平安遷都に際しては、桓武天皇より“王城守護/国家鎮護”の役割を与えられ、伊勢神宮と並ぶ神格の神社となりました。
 更に朝廷の厚い帰依から嵯峨天皇の御代810年以降400年に渡り伊勢神宮の「斎宮」と並び賀茂社にも「斎院」が置かれました。
 王朝絵巻で有名な「葵祭」は下鴨神社/上賀茂神社の「例祭」で、且つ古来は朝廷による国家行事でした。

糺の森(ただすのもり)

中門 この門をくぐると拝殿/本殿です。

楼門

 

 “楼門”の手前に「相生社(あいおいしゃ)」と言うお社があり“縁結びの神様”として有名です。いつも若い男女でいっぱいです。
 相生社の側には「連理の榊(れんりのさかき)」という2本の木が途中から1本になった不思議なご神木があります。縁結びの神の力で結ばれたと言い伝えられています。

左「連理の榊」 右「相生社」

二の鳥居

舞殿 “葵祭”の時、天皇の勅使がご祭文を奏上します。

橋殿 “御蔭祭”では御神宝を安置、9月のお月見では“名月管絃祭”が、正月には“神事芸能”が開催。

 

 

 「御手洗社(みたらいしゃ)」は、井戸の上に建てられているため「井上社(いのうえしゃ)」とも言います。
 
 「御手洗祭」・・土用の丑の日の「足付け行事」はこの川で行われます。
 
 「葵祭」では、祭りに先立って“斎王代”が“御手洗池”で禊を行ないます。

 御手洗池から湧き出る泡を形どったのが
「みたらし団子」・・・ここが発祥の地です。

御手洗社(井上社)/御手洗川/御手洗池


「賀茂社の謎」
 平安京には“皇祖神「天照大神」”を祭神とする大きな神社はありません。八坂神社(祇園社)は素戔嗚尊、松尾大社と伏見稲荷大社は“秦氏の氏神”、上賀茂/下鴨神社は“鴨氏の氏神”を祀っています。
 祇園社が“出雲系”であることは言うまでもありませんが、松尾大社/伏見稲荷大社/賀茂社も恐らくは“出雲系”と思われます、いずれも“後背の山”を“神山”としており、このような“神奈備山信仰”は“出雲系”の特徴だからです。
 更に、下鴨神社の拝殿前には“十二支”を祀る“言社”があり、その祭神は大国主命です。
 奈良時代には、朝廷は“賀茂社”の隆盛を懸念し“下鴨神社”を“上賀茂神社”から分離独立させ力を削ぎました。

 

 なのに、何故、朝廷は、かつて敵対した出雲系の流れをくむ“賀茂社”に“王城守護/国家鎮護”の役割を与えたのか・・・大きな謎です。

 

 また、古代の山城国では、鴨氏の居住地に隣接して“山城出雲氏”も優勢を誇っていましたが、“鴨氏”が平安遷都の中で朝廷の庇護を得ていく一方、山城出雲氏は没落、現在では、下鴨神社の中に、摂社“出雲井於神社”として“山城出雲氏の氏神”の名残を留めているに過ぎません。
 この神社の周囲に植えられた木は、どのような葉も柊のようにギザギザになることから“比良木社(柊社)とも呼ばれます。 不思議です。

ギザギザの葉の柊


末社/十二支を祀る“言社”

 

下鴨神社第一摂社 「河合神社」

 

 賀茂川と高野川が合流する(“河が合う”)が神社名の由来です。

 

 祭神は、神武天皇の母“玉依姫命(たまよりひめのみこと)”です。
 古くから、“女性の美の神様”として厚く信仰されており、今も多くの女性参拝者の“美人祈願”の“鏡絵馬”奉納でいっぱいです。

 社殿は下鴨神社の1679年式年遷宮の際の古殿を修理建造した
もので、摂社と思えない風格のある古社です。

下鴨神社第一摂社/河合神社の鳥居

摂社/出雲井於神社(比良木社/柊社)

 

鏡絵馬 (奉納者自身で顔を描きます)

 

河合神社総門


 本殿左手には、任部社(とうべのやしろ)と言う小さなお社があり、その祭神は、神武天皇が東征のした際、道案内をした「八咫烏命(やたがらすのみこと)です。
 
 何故、出雲系“賀茂社”の第一摂社として、“皇祖神系”の“河合神社”が存在するのか、これも不思議です。
 
 河合神社は、鴨長明ゆかりの神社としても有名です。
 長明は、宮廷歌人としては高名でしたが、もともとは下鴨神社の禰宜の家に生まれ、父がかつて勤めた河合神社の禰宜になることを夢みていましたが、その河合神社禰宜の職を巡る親族との競争に敗れ、神職を辞し隠遁、失意の晩年を過ごす中、「方丈記」を著しました。

任部社(とうべのやしろ)
祭神は“八咫烏(やたがらす)”

河合神社境内でのコンサート

 

訪れた秋の土曜日、境内の“舞殿”では、“チェロ4重奏”のコンサートが行われていました。とっても優雅で風流です。

 

“音の森”コンサート看板