2015年12月1日
(写真・文、 光岡主席研究員)
都を南北に走る「千本通り」の北端に「千本閻魔堂」はあり、古義真言宗「引接寺」が正式名称です。ここは平安の昔の葬送地「蓮台野」の入口、あの世に旅立つ人々に「閻魔様」が引導(引接)を渡したと言われています。
伝えでは、あの平安貴族/小野篁卿(800年代前半)が「精霊迎えの法」を閻魔大王から授かり、この地に「お堂」を建てたのを始まりとしています。
お堂に入り、「閻魔様」の前に立つと、その迫力に圧倒され、”引き立てられた”気分になります。思わず社務所で「お目こぼし」を買ってしまいます。
嘘が嫌いな閻魔様は表裏の無い”コンニャク”が好物、節分には”コンニャク炊き”参拝者に振舞われます。
春に行われる「閻魔堂狂言」も京都三大念仏狂言の一つとして有名です。
お目こぼし
ご本尊「閻魔法王」(2.4m、日本一の大きさの閻魔様)
千本閻魔堂
盂蘭盆会には、お精霊(おしょらい)さんを迎えるため、迎え鐘が終日鳴り続けます。
「千本通り」の由来は、葬送地「蓮台野」への道に、無数(千本)の卒塔婆や石仏があったことによると言われています。
境内には、紫式部の供養塔もあります。
鐘つき堂(鐘は南北朝時代1379年の物です)
古来より、千本通周辺の散乱した石仏、掘り出された石仏をお集めし、お弔いしています。
精霊流しの池
「釘抜き地蔵」
「千本閻魔堂」から徒歩5分ほどの所にある「石像寺(しゃくぞうじ)」は弘法大師の開基で、通称「釘抜き地蔵」と呼ばれ親しまれています、現在は浄土宗のお寺です。
苦しみを抜き取るお地蔵様と言うことから、「苦抜(くぬき)地蔵」がなまり「釘抜き(くぎぬき)地蔵」となりました。
寺伝では、戦国末期の京都の豪商/紀伊国屋道林が両手の痛みをこのお地蔵様に願をかけた所、夢にお地蔵様が現れ、「汝は、前世で人を怨み、人形の両手に八寸の釘を打って呪ったため、その罪で、今、両手が痛いのだ、が、汝が祈り救いを求めたので、昔の怨みの釘を抜いてしんぜよう」と。目が覚めると痛みはなく、急ぎお地蔵様に参ると、2本の八寸釘があったそうです。 その日から、道林は100日間お参りを続けお地蔵様に奉謝しました。
以来、「釘抜き地蔵」が定着し、多くの苦しみを持つ人がお参りし、願が叶ったお礼に「釘と釘抜き」を奉納するようになりました。 今も多くの方が「お百度参り」をされています。
本堂(釘抜き地蔵菩薩)
石像弥陀三尊像
本堂の壁は、お礼の「釘抜き・釘」でいっぱいです。
お堂の上にも、古い昔のお礼の「釘抜き・釘」と「額絵馬」がたくさん奉納されています。
境内で見つけた大きな「釘抜き」には、衣が掛けられており、庶民から親しまれています。
一説では、藤原定家がこの地に住んでいた・・・とか。
寺の墓地にお墓があります。