2015年8月1日
(写真・文、 光岡主席研究員)
今回は、多くの伝承の残る「一条戻橋」です。 京都で一番怖い“橋”です。
ご覧の通り今は堀川通に面し一条通が堀川にかかる何の変哲もない橋ですが、当時の平安京では裏鬼門の北西の角、洛中と洛外(百鬼夜行魑魅魍魎の世界)を分ける接点の地でした。
平安中期の918年中級貴族の三善清行の葬列がこの橋にさしかかった際、父の死を聞き急ぎ帰ってきた熊野権現で修業中の子/浄蔵が棺にすがって祈った所、雷鳴と共に清行は一時的に生き返り父子は抱き合って喜んだと言う。 以降、死者を蘇らせる橋として「戻橋」と呼ばれています。
一条戻橋 全景
戻橋(洛外から洛中を見る)
戻橋
(洛中から洛外を見る)
この橋のすぐ北西側に「清明神社」があります、陰陽師/安倍晴明の屋敷跡です。
平安当時、安倍晴明は「式神」をこの橋の下に隠していました。
同じ頃、源頼光四天王筆頭の渡辺綱が美女に化けた鬼と出会い、腕を切り落としたのもこの橋です。
時代が下って、秀吉より切腹を賜った千利休の首はこの橋にさらされました。
今でも京都では、未婚女性は「出戻らない」ようにこの橋を渡りません。
逆に戦時中の応召兵は生還できるようにとこの橋を渡って戦地に赴きました。
この橋は千年以上もおどろおどろしい歴史を見つめて来ました。 貴女は知らずに渡っていませんか?
一条戻橋と堀川通り
一条戻橋の下
晴明神社鳥居(五芒星)
晴明神社本殿
大正時代の「戻り橋」の一部が、晴明神社に保管されています。(右下)
橋の左の像は、「式神」です。
晴明の奥方が「式神」を怖がったため、晴明は「戻り橋」の下に隠していました。
大正時代の戻り橋と式神像