京都ミステリ-スポット 第29回 「今宮神社とあぶり餅」(2019年 5月)

 2019年7月1日

 

(写真・文、 光岡主席研究員)

 

 京都観光で人気の神社ではありませんが、「今宮神社」は大徳寺の北側・紫野にあり、平安の昔から連綿と伝わる京都人の普段着の暮らしと伝統・信仰を今に伝える古社です。京都の春の訪れを告げる優美な「やすらい祭」や、参道で千年、神饌由来の美味な「あぶり餅」を伝えるなど、京都人の大好きな神社です。“京都通”になるには参拝必須の神社です。

 当地には平安遷都以前から、疫神を祀る社があったと言われます。平安京が都市として栄える一方で、人々は疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため、神泉苑、御霊社、祇園社などで盛んに御霊会が営われました。今宮社の紫野御霊会もその一つで、一条天皇の御代994年、疫病が流行した際、当地に祀る疫神を二基の神輿に斎い込めて船岡山に安置し、歌舞を奉納し、病魔の依れる“人形(ひとがた)”を川に流し、悪疫退散を祈りました。

今宮神社 楼門

 

 

 

 

 

 1001年、またも疫病の流行と疫神の至現があったため、天皇は疫神を船岡山から再び当地へ奉遷し、新たに造営した三宇の神殿ともども「今宮社」と名付けました。

これが今宮神社の起源です。

 古来からの疫社(素戔嗚尊の荒魂を祀る)に対し、新たに本殿に、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命を祀ったことから「今宮社」と呼びました。現在の摂社の「疫社(えやみしゃ)」こそ「今宮神社」のそもそもの起源です。

 

 また、ヤマト朝廷の流れをくむ天皇の都・平安京で、ここ今宮神社の祭神が全て「出雲神」であることも注目です。

 

 

今宮神社 拝殿

今宮神社 本殿

本殿前は白砂がまかれ綱が張られた結界になっています。

やすらい人形(ひとがた)

写真JR東海より

摂社 疫社(えやみしゃ)素戔嗚尊の荒魂を祀ります       写真は「京都PHOTO CLIP」より


やすらい祭

当ページの祭の写真は、神社ホームページより。

やすらい人形(ひとがた)

「やすらい祭」は、摂社「疫社」の祭礼で、花の精にあおられて春の陽気の中に飛散する悪疫を鎮めるための「花鎮めの祭」です。京都の春の始まりの4月の2週に行われています。

 

「やすらい祭」では、風流な装いを凝らして詣で鎮静安穏を祈願する習わしでしたが、あまりにも民衆が華美に走ったため平安末期、勅令で禁止されました。

 江戸時代に桂昌院により復活、今に至っています。

 

 

 

 

 

今宮祭

「今宮祭」は「やすらい祭」と同様、平安時代の紫野御霊会を起源とし、現在も今宮神社の祭礼として5月に3週間をかけて行われています。

 江戸時代に、桂昌院の力添えと西陣町衆の台頭があり大きく復興、「西陣の祭」として、現在に至っています。 最大の「大宮神輿」は豊太閤の寄進と言われ、菊のご紋と共に豊臣家の紋もあり、重さも2トン750貫もある巨大さで、美術工芸を尽くした京都一の豪奢な神輿と言われています。


今宮の奇石

 

 境内にある「阿呆賢(あほかし)さん」は古くから「神占石(かみうらないいし)」と言われ、病弱な者はこの石に心を込めて、病気平穏を祈り、軽く手で撫で身体の悪い所を摩れば、健康回復を早めると言います。

 

 又「重軽石(おもかるいし)とも言われ、まず軽く手の平で三度石を打ち持ち上げると、たいそう重くなり、次に願い事を込めて三度手の平で撫でて持ち上げます。この時、軽くなれば、願い事が成就すると伝えられています。


「阿呆賢(あほかし)さん」全景

 

 

「玉の輿」のお守り

占いに使う「重軽石(おもかるいし)」

境内にある桂昌院(お玉の方)のレリーフ

 

レリーフ写真は神社ホームページより

 

 

 

 

 

今宮神社の「手水盤」は桂昌院が寄進したもの。

一時枯れたものの、現在は復活、湧いています。

「阿呆賢(あほかし)さん」正面

 

 西陣の八百屋に生まれた「お玉」は、徳川3代将軍家光の側室となり、その後、5代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位まで上り詰めました。

 このことが「玉の輿」のことわざの由来となりました。

 

 桂昌院は、終生信心深く、とりわけ故郷西陣への想いと西陣の産土神「今宮神社」への崇敬は強く、当時荒廃していた今宮神社の再興に力を注ぎました。

社領の寄進、氏子区域の拡充、「やすらい祭」の再興など、今宮神社中興の祖となりました。


あぶり餅

あぶり餅 メニューはこれだけ、1種類です。


同じ場所で、千年以上の歴史のある「いち和」

400年の歴史の「かざり屋」

お餅を竹串に刺し、きな粉をまぶしているところ

お餅を竹串に刺し、きな粉をまぶしているところ

 

 今宮神社の東門を出ると、参道(写真)左側(北)が元祖の「いち和」、右側(南)が本家の「かざり屋」と、二軒だけが、江戸時代の宿場町のような

雰囲気で「あぶり餅」を提供しています。

 

古の京の町の雰囲気を味わえるのは、ここ今宮神社だけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さく裂いた焼きたてのお餅を裂いた竹串に刺し、秘伝の白味噌たれときな粉をまぶしたお菓子です。絶妙な美味にはまります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店主は代々「一文字屋和輔」を名乗り、省略して「いち和」です。現在は25代目です。

 

 

 

 

 京都で一番古い歴史を持つお菓子屋さんは、ここ千年を超える「一文字屋(いち和)」です。

 

 店内に平安時代から千年を超える井戸が現存し、今も水が湧いています。

 

 降りると、ひんやりと涼しかったです。


 祭神、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は、織物の巧さ美しさを賞でられる神として技芸上達を願う人々の崇敬が篤く、七夕伝説の織姫に機織を教えた神とも言われ、織物の祖神とされています、

 

 社の両側に立つ、織機の杼(ひ)と呼ばれる織機の道具が目を引きます。織物の町・西陣の人々から篤い崇敬を受けています。

 平安京造営の際、都の四方に平安京鎮護を願い建てられた「大将軍社」の一つで、ここは北側守護をしています。

 西側守護の一条通の「大将軍社」が独立神社として大きく有名。現在、何故か5ヶ所の大将軍社が残っています。 北側には、もう一つの「大将軍社」が上賀茂にあります。


織姫社

紫野大将軍社


月読社

 祭神の「月読命」は、天照大神の弟、素戔嗚尊の兄である「三貴子」の一人ですが、神話にエピソードも殆ど無く、謎の神です。

 月読命を祀る神社も数少なく、その殆どは「壱岐」由来と伝えます。 不思議です。

織田稲荷社

 倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀ります。

 両神は共に天孫降臨に関わる神として知られています。

 

 当社地を守護する地主神として祀られています。

地主稲荷社

他の末社など

 

 一棟に大国社・蛭子社・八幡社・熱田社・住吉社・香取社・鏡作社・諏訪社の八社を祀った細長い社があります。

 元禄再興期に末社を合祀して建立されたとされ、境内再編の歴史を伝えています。


紫野稲荷社

日吉社

八幡社

八社


 中央の若宮社は伊弉那美神・向かって右の加茂斎院は歴代斎王の御霊・左の若宮社は御霊を祀ります。

 中央の若宮社は、愛宕社を御分霊として祀られたと伝えられています。

 加茂斎院は、元々は賀茂大神に奉仕する歴代天皇の未婚の皇女(斎王)がおられた座所のことです。約400年にわたり奉仕されましたが、1212年に加茂斎院は廃止されました。その後、今宮社に歴代斎王の御霊をお祀りするため遷されました。

 左の若宮社は薬子の変に処罰された御霊を鎮めるため祀ったといわれています。

若宮社

 

 素盞鳴尊の十握剣(とつかのつるぎ)から生まれた宗像三女神を祀ります。

宗像社

絵馬社

「絵馬社」写真は神社ホームページより

 

 宗像社の社壇の側面の台石に長さ60㎝程の鯰の彫り物がある。この社は俗に「弁天さん」と呼ばれ、鯰は神の使者として彫られたものと云われています。

鯰(なまず)の台石