2015年6月1日
(写真・文、 光岡主席研究員)
3匹のやんちゃ猿兄弟が平安の昔から京都の町を守っていることご存知ですか?
現在の御所の姿の元となるものは、光格天皇が寛政2年(1790)に平安の古制に則って造営されたものですが、その後、天明の大火で焼失、安政3年(1856)に再々建されたものが現在の御所です。
この御所の築地塀の北東角(丑寅の“鬼門“の方角)は折れ曲がって凹んでいます、凹ますことで鬼門を失くしているのです。 ここを「猿が辻」と言います。
よく見ると築地塀の中に烏帽子を被り、御幣を持った木彫りの1匹のお猿さんがいます、このお猿さんは比叡山延暦寺の守護神社である日吉山王神社の神使で御所の鬼門を守っているのです。
「神の猿」⇒「マサル(勝る)」⇒「魔去る」に通じるからです。また、鬼門の方角、丑寅(北東)の反対側(南西)を「申(さる)」ということも関係しているようです。ただ、このお猿さん、通りかかる人に悪戯をするらしく、いつの日からか檻に閉じ込められています。
御所・猿が辻
猿が辻のお猿さん
この「猿が辻」から北東に少し延長した寺町今出川近くの住宅街にひっそりたたずむ「幸神社(さいのかみのやしろ)」にも、「猿が辻」のお猿さんの双子と言われるお猿さんが本殿の北東(鬼門)の壁にいます。
左甚五郎の作と言われています。やはり「猿が辻」のお猿さんと一緒に皇城(御所)の表鬼門を守っています。
このお社は元々「猿田彦」を祀る「出雲路道祖神」で平安京以前から存在する京都で最も古いお社の一つです。 平安京以前の京都が出雲族や渡来族(秦氏)と深くかかわっていた名残りです。 近くには「出雲路」の地名が残っています。
外の路からは入って来る“鬼“を“サエギル”が転じて“サイ(幸)”となったと言われています。
お猿さん御札
幸神社(さいのかみのやしろ)鳥居
幸神社お猿さん
皇城鬼門石碑
「幸神社」を更に北東に大きく延長した比叡山の山麓、修学院離宮の近くに「赤山禅院」があります。 この赤山禅院は平安京の表鬼門を守るためにおかれた比叡山延暦寺の別院で、比叡山の千日回峰行とも関わりが深く「赤山苦行」でも知られています。 本尊の赤山大明神は、陰陽道の祖神とされる中国の神「泰山府君」を勧請したものです。
ここの本堂の屋根の上にもまた、「猿が辻」「幸神社」の兄弟のお猿さんがおり、一緒に都の表鬼門を守護しています。
このお猿さんもやはり悪戯好きだったのか今は檻に入れられています。
因みに、平安京の裏鬼門(南西)には、男山の「石清水八幡宮」が都を守護しています。
赤山禅院(赤山大明神)
赤山禅院のお猿さん
皇城表鬼門のお札