2016年7月1日
(写真・文、 光岡主席研究員)
平安初期の右大臣/菅原道真は、学者の家に育ち文人としても高名であったため、現在では「学問の神様」として受験生の厚い信仰を集めていますが、実は日本史上最大の怨霊で、その悲運の冤罪の怒りを鎮めるため「天神様」として祀られた由緒があります。
道真は、藤原氏への権力集中を抑えたい宇多天皇に重用され右大臣まで上り詰め「寛平の治」と呼ばれる善政を行いましたが、醍醐天皇の時代に入り左大臣藤原時平の讒言にあい太宰府に左遷され901年、悲運の内に没しました。
この後、都では御所への落雷、道真を左遷した者達の急死など天地異変が続いたため、これは道真の怨霊の祟とされ、これを鎮めるため、朝廷によって、「北野天満宮」、「太宰府天満宮」が建立され、「天神」として祀られました。
「天神信仰」のもと、今や全国に1万2000社の「天満宮」「天神社」がありますが、今日は、その総本社である「北野天満宮」と、京都市内の謂れのある3社、「菅大臣神社」「菅原院天満宮神社」「文子天満宮」をご紹介します。
北野天満宮 一の鳥居
北野天満宮 楼門
北野天満宮 ②
要文化財 中門/三光門
987年、一条天皇より「北野天満宮天神」の神号が送られ、以降、「国家鎮護の社」として朝廷の厚い崇敬を受けました。
中世になっても足利将軍家の崇敬を受けました。
また、1587年に豊臣秀吉が境内で1500の茶屋を設け催した「北野大茶湯」は有名です。
「星欠けの三光門」の不思議
門の名前は、
日・月・星の”三つ光”の彫刻に由来していますが、
実は、星の彫刻はなく、
それは北野天満宮の天上に輝く北極星を指している?
と言われています。
国宝 北野天満宮 拝殿
北野天満宮 ③
「三光門」の向かって左側の狛犬は“一角”の角が立派です。
因みに、北野天満宮には、
日本最大の狛犬が居ます、
また、境内には、“12対の狛犬゛がおり、これも日本最多数です。
“終い天神”(12月25日)で賑わう参道風景
道真が「丑年生まれ」であったことから、境内随所に多数の“臥牛”がいます。
現代では、頭を撫でると頭が良くなる・・・と、「撫で牛信仰」で有名です。
毎月25日は天満宮の縁日で、 特に12月25日は“終い(しまい)天神”と呼ばれ、1年を締めくくる恒例行事です。
京都の人気ある歳末風景の一つです。
境内には、早朝から、植木や骨董品・衣料・正月用品などを商う露店が多数立ち並び、日没まで多くの参拝者で賑わいます。
北野天満宮 ④
道真、縁りの“梅”は、50種1500本もの白梅・紅梅・一重・八重などの梅が広大な梅苑に咲き誇り、
京都の春の訪れを告げます。 2月25日の「梅花祭」は900年の伝統がある人気の華麗な行事です。
1587年の豊臣秀吉の“北野大茶湯”で、たいそう秀吉に気に入られたお菓子が、「長五郎餅」です。
今でも北野天満宮の名物で、お店が境内にあります。
北野名物 「長五郎餅」
菅大臣神社・北菅大臣神社 ① (菅大臣神社)
繁華街四条烏丸から西南に5分ほど歩いた所に、「菅大臣神社」はあります。
この地は、道真の邸の址と伝えられています。
今もこの神社の地名は、「菅大臣町」です。
また、道真誕生の地とも云われ、産湯の井戸が残されているそうです。(境内を探しましたが、井戸を見つけること出来ず)
菅家邸址石碑と「菅大臣町」の地名
菅公誕生の地 石碑
有名な道真の和歌、
「東風吹かばにほひおこせよ梅の花、主なしとて春なわすれそ」・・・は、この地で詠まれました。
主を慕う“梅”が、太宰府まで飛んで行った
・・・という伝説です。
毎年、5月の第二土曜/日曜には、道真を偲ぶお祭りと狂言が奉納されます。
菅大臣神社 鳥居
「飛梅」伝説
菅大臣神社 本殿
菅大臣神社・北菅大臣神社 ② (北菅大臣神社・紅梅殿)
菅家邸址 紅梅殿 石碑
紅梅殿 額
鎌倉時代に、神社は南と北に別れ、南は「白梅殿」(菅大臣神社)、北は「紅梅殿」(北菅大臣神社)となりました。
南の菅大臣神社北門を出て、北へ20mほど行った路地の奥に、ひっそりと本殿(紅梅殿)のみ残る北菅大臣神社は、道真の父/是善を祀ります。
この「紅梅殿」辺りには、かつて菅原家の学問所「菅原廊下」や道真の書斎「山陰亭」があったと伝わります。
北菅大臣神社・紅梅殿
路地の奥にポツンとあります
京都御所の西側「蛤御門」の斜め向かいに、烏丸通りに面して「菅原院天満宮神社」はあります。
ここも、道真の生誕地、菅原氏代々の屋敷址と伝えます。
境内には今も湧く“産湯の井戸゛が残っています。
祭神は、道真と父/是善、祖父/清公、3代を祀ります。
この地は、現代京都の南北を貫く目抜き通り「烏丸通り」に面し、御所の横、高級ホテルもある京都の一等地、静かで清潔な住宅街です。
菅原院天満宮神社 鳥居
菅原院天満宮神社 本殿
菅家邸址 石碑
文子(あやこ)天満宮
「天神信仰」発祥の神社「文子天満宮」は、五条通の南、東本願寺からもそう遠くない地にあります。 神社の地名は「天神町」です。
道真の死後40年後の942年、道真が、都に住まう乳母/多治比の文子の夢枕に立ち、「我を右近の馬場(現在の北野の地)に祀れ」と託宣がありましたが、文子は貧しかったので自宅の庭に小祠を建て祀ったのが「文子天満宮」の起こりで、「北野天満宮」の前身と伝わっています。
境内には、道真が太宰府に流される途中、ここに立ち寄り、腰掛けたと云う「菅公 腰掛け石」があります。
多治比の文子像(大正時代の作)
文子天満宮 鳥居
天神信仰発祥の神社 碑
菅公 腰掛け石