近年故郷京都へ立ち寄る私事が増えると共に街を散策する機会も増えました。
そして、観光客もあまり訪れることもない謂れのある寺社・旧跡を訪ねています。
その中には、千年の歴史の重みを感じさせる神秘的な伝承があります。
皆さんにも、この“いと、をかしき”「京都の神秘」を紹介したいと思います。
2019年7月1日
京都ミステリースポット 第29回「今宮神社とあぶり餅」(2019年 5月)
京都観光で人気の神社ではありませんが、「今宮神社」は大徳寺の北側・紫野にあり、平安の昔から連綿と伝わる京都人の普段着の暮らしと伝統・信仰を今に伝える古社です。
2018年7月1日
京都ミステリースポット 第28回 「平安京・北の守護”玄武”の船岡山」 (2014年新春)
「船岡山」は、現在の京都の碁盤の目の北西角近く、“一休和尚”のいらした大徳寺の向かいにある、標高112mの小山で、清少納言の「枕草子」の中で「岡は船岡・・・」と賞賛された都一番の趣のある“丘”です。
3月1日
京都ミステリースポット 第25回「病気平癒のご利益のある寺社」(2017年 年末)
「宇佐八幡宮神託事件」に功のあった奈良時代の貴族「和気清麻呂」を祀っています。京都の目抜き通り「烏丸通り」に面し、
向かいは京都御所です、京都の一等地です。
2月1日
京都ミステリースポット 第24回 「神社の壁をトントン叩いてお詣りする、”ゑべっさん”」 (2017年12月)
「京都ゑびす神社は、西宮神社(兵庫)・今宮戎神社(大阪)と並んで、「日本三大ゑびす」と称され、「えべっさん」の名で親しまれています。
9月4日
京都ミステリースポット 第23回 「西寺址・羅城門址・朱雀門址」 (2016年 年末)
794年の平安京造営と共に、京の南の入口“羅城門”を挟んで東西に「西寺」と「東寺」が、“国家鎮護”の官寺(かんじ)として建立され、国家行事の仏事を行った。
8月1日
京都のミステリースポット 第22回「縁切り・縁結びの宮 安井金比羅宮」(2016年 秋)
ご祭神は、保元の乱に敗れ讃岐に流され都へ戻ることも叶わず、「日本一の大魔王にならん!」と悲憤のうちに讃岐で崩御された崇徳天皇です。
1月1日
京都ミステリースポット 第20回 「信長の墓」 (2016年 初秋)
京都市役所に近い寺町御池の「本能寺」を訪れると、つい信長は「本能寺の変」でここで死んだのか・・・と思いがちですが、事件のあった当時の炎上した
旧「本能寺」は別の場所
11月1日
京都ミステリースポット 第18回 「源頼光と土蜘蛛退治」 (2016年)
「平家物語」や謡曲「土蜘蛛」によると、
平安時代中期、酒呑童子退治で知られた源頼光が病に伏せっていた時、見知らぬ僧が訪ねてきた。
10月1日
京都ミステリースポット 第17回 「上御霊神社・下御霊神社・崇道神社」 (2014~2016年)
「上御霊神社」には、無実の罪で皇太子を廃され憤死した桓武天皇の弟、早良(さわら)親王と奈良時代から平安初期にかけての政争の中で冤罪で悲運
8月29日
京都のミステリースポット 第16回 「西陣ミステリースポット散歩」 (2014~2015年)
西陣の表通りから一歩入った住宅街の街角に、突然、謂われのありそうな“巨石”が現れます。 伝えによると、二条堀川にあった“霊石”を、御所内の中和門院(後水尾天皇の母)の邸の池の畦に移した所、
7月1日
京都のミステリースポット 第15回 「日本史上最大の怨霊・天神様/菅原道真」 (2014年~2016年)
平安初期の右大臣/菅原道真は、学者の家に育ち文人としても高名であったため、現在では「学問の神様」として受験生の厚い信仰を集めていますが、実は日本史上最大の怨霊で、その悲運の冤罪の怒りを鎮めるため「天神様」として祀られた由緒があります。
6月2日
京都ミステリースポット 第14回 「日本史上最強の怨霊/崇徳上皇を祀る白峯神宮」 (2016年2月)
今は、サッカーの神様と若者や子供でにぎあう「白峯神宮」は、本来は、皇室が700年もの間、最も畏れた「日本国大魔王/崇徳上皇の霊」を鎮め祀る、明治天皇の“即位の礼”の前日、慶応年号の最後の日(1868年8月26日)に、明治天皇によって創建された神宮です。
3月1日
京都ミステリースポット 第11回 「紫式部のお墓の謎」 (2013年~16年)
京都市内の真ん中を南北に走る「堀川通り」の「北大路堀川下る西側」の島津製作所の紫野工場の塀の途中に、忽然と「紫式部、小野篁の墓所」が現れます。
1月26日
京都のミステリースポット 第10回 「繁昌神社」「班女塚」 (2015年 冬)
京都のビジネス街の中心四条烏丸に近い高辻室町の街角に、通り過ぎてしまいそうな小さな神社、でも「商売繁盛」「良縁成就」など縁起の良い名前を掲げる、「繁昌(はんじょう)神社」があります。
1月3日
京都ミステリースポット 第9回 「蚕の社」(2014年春) 「大豊神社」 (2013年晩秋)
「蚕の社」(カイコノヤシロ)の正式名称は「木島坐天照御魂神社(コノシマニマスアマテラミムスビノヤシロ)と言い、平安以前の遥か昔に創建された古社で、皇祖神「天照大神」ではない、太陽神「天照御魂神」を祀る自然信仰を伝える、全てが神秘のお社です。
12月1日
京都ミステリースポット 第8回 「千本閻魔堂」 「釘抜き地蔵」 (2014年 冬)
都を南北に走る「千本通り」の北端に「千本閻魔堂」はあり、古義真言宗「引接寺」が正式名称です。ここは平安の昔の葬送地「蓮台野」の入口、あの世に旅立つ人々に「閻魔様」が引導(引接)を渡したと言われています。
11月1日
京都ミステリースポット 第7回 「月読神社 (謎の神 月読命)」 (2013年 冬)
日本神話で最も尊い神は「三貴子」と呼ばれる、姉「天照大御神」(太陽神、昼の神)、次弟「月読命」(月の神、夜の神、海の神)、末弟「須佐之男命」(大地の神)の3神です。
10月1日
京都ミステリースポット 第6回 「大将軍社」 (2013年春~夏)
西暦794年、桓武天皇が平安京を造営した際、王城鎮護のため陰陽道に則り、王城の東西南北の4隅に、方除け守護「大将軍」(金星です)を祀りました。
9月1日
京都ミステリースポット 第5回 怖~い京都・・・[京都神田明神」、「謡曲“鐵輪”伝説」、「曼殊院掛け軸」 (2015年春)
東京の「神田明神」、大手町の「将門首塚」は有名ですが、その昔、奥州で敗死した平将門の首は京の都に送られ、晒されました、その場所が伝承されているのです。
8月1日
京都ミステリースポット 第4回 「一条戻橋」 (2014年夏)
今回は、多くの伝承の残る「一条戻橋」です。 京都で一番怖い“橋”です。
ご覧の通り今は堀川通に面し一条通が堀川にかかる何の変哲もない橋ですが、当時の平安京では裏鬼門の北西の角、洛中と洛外(百鬼夜行魑魅魍魎の世界)を分ける接点の地でした。
7月1日
京都ミステリースポット 第3回 「閻魔王庁で裁判の手伝いをしていた平安貴族/小野篁(たかむら)」 (2013年夏)
小野篁(802年~853年)は平安初期を生きた文人・歌人としても名高く、参議(現在の国務大臣)まで上り詰めた上級貴族で、小野小町の祖父とも言われています。
6月1日
京都ミステリースポット 第2回 「3匹の猿が都を守る」 (2013年夏)
3匹のやんちゃ猿兄弟が平安の昔から京都の町を守っていることご存知ですか?
現在の御所の姿の元となるものは、光格天皇が寛政2年(1790)に平安の古制に則って造営されたものですが、その後、天明の大火で焼失、安政3年(1856)に再々建されたものが現在の御所です。
4月20日
京都ミステリ-スポット 第1回 「幽霊子育飴」 (2013年 夏)
伝説では、慶長4年(1599)まだ若い妻を亡くした男が妻を葬って数日後、土中から泣き声がするので掘り返したところ、元気な赤子が出てきた。当時近所の飴屋に夜な夜な飴を買いに来る女がいたが、これ以降来ることは無かった。